
2009年からセッションを続ける中で、本当はずっと気づきや学びをお伝えしたい気持ちがありました。
でも書き始めてみると、「これで大丈夫かな」「もっとわかりやすくしたい」と悩むことばかりでした。
それでも、皆さまとの距離をもっと近く感じられたら…と願いながら続けています。
ご感想をいただいた日は、一日中嬉しくて心が弾みます。
いつも力をいただき、本当にありがとうございます。
今日は「御霊磨き」についてお話しさせてください。
御魂磨きという言葉を聞いたのは
2021年くらいに出会った
御霊石が初めてでした。
御霊石のセッションの言葉はこれまでに聞いたことのある言葉使いとは違って、少し硬いような感覚でした。
石に対してセッションすることがそもそも初めてなので、驚きましたが。
そうか、石だから、硬いのかな。書いていて気が付きました。
私がこの世界に深く入るきっかけになった出来事があります。
それは、ある若い女性とのセッションでした。
彼女は28歳で、まだ幼い子どもが二人いるのに、末期の肺がんを患っていました。
初めてお会いした日、彼女は酸素ボンベを抱えて来られました。
私自身もシングルマザーで、息子が8歳だったこともあり、胸が締めつけられるような思いでした。
このセッションのことは、今でも鮮明に覚えています。
彼女は「悪いことをしたから閻魔様に罰を与えられたのだ」と話しました。
しかし、私がセッションで見たものはまったく違いました。
彼女のマスターは常に、最大限の愛を送り続けていました。
残される子どもたちも、すべてをわかった上で彼女のもとに生まれてきたことも教えてくれました。
そして、マスターの愛を感じられるように、温かな“愛のボール”も彼女に手渡しました。
途中から、私は大きな驚きを体験しました。
それは、彼女の魂そのものが見えたのです。
まばゆい光が部屋いっぱいに広がり、魂がこんなにも輝くものなのだと初めて知りました。
彼女は無意識のうちに、あの世とこの世を行き来しているようでした。
魂というのは本来、光そのものです。
本人は気づいていなくても、こちらから見るとまぶしいほどに光っています。
私たちも本来はみな、そんな光を持つ存在なのだと思います。
けれど、生きていく中でその光を忘れてしまったり、曇らせてしまったりするのかもしれません。
本当の自分を思い出すことこそが、「御魂磨き」なのだと思います。
彼女がその魂の光を見せてくれ、私は強い衝撃を受けました。
そしてその衝撃は、私だけのものではありませんでした。
セッションが終わり、彼女が部屋を出た瞬間、次のクライアントが待合室にいました。
その方は、彼女の姿を見た途端、自然と涙を流されていました。
それは痛ましさからではなく、何か荘厳な光を見るような気持ちで、涙があふれ出たのです。
ここで知っていただきたいのは、誰しも魂が光り輝いているということです。
ただ思い出せば良いのだということです。
何をしなさいとか、そんなことではないように思うのです。
何か特別なことじゃなくて、外にあるものでもなくて、内側にある魂を感じること
思い出すことなんじゃないかと思うのです。
「御魂を磨いていれば恐れることはない」
御霊石はそう言いました。
たしかに、魂がこんなに光り輝くものだと思いだすことができれば、何も恐れることはないのだと思います。
きっと私たちは生きているうちに
それを思い出したいのだと思います。
私にとっては今こうして皆様と繋がっている瞬間に
魂が喜んでいるのを感じます。
今日も皆様が魂から喜ぶことを感じられてください。
