息子とマスターとの対話5

Q.息子 A.マスター

Q.『感性が養われる』という言葉は、マスターあなたがよく対話中にたびたび使います。
 はじめは感性という言葉の感覚的な理解で十分だと思っていました。でも、次第に、感性の
 言語的な意味をきちんと聞きたいと思いました。『感性』とは何か。教えてください。

A.『感性』とは、美しさに気づけることです。特に、養われた感性というのは、
 内面的な美しさに気づくことができることを言っています。

Q.内面的な美しさですか?

A.はい。そもそも私たちが美しさを感じるものといえば、何でしょうか?

Q.そうですね・・・。例えば麗しい容姿を見た時や、絵画、花、音楽の音色とか・・・。
 春先の快晴や、ちょっとした穏やかな日常にも、時にえも言えぬ風情を感じますね。

A.あなたはどうしてそれらを美しいと感じるのですか?

Q.それは、まあ、私の中にとある基準があるのでしょう。
 それを超えたものを美しいと感じるのだと思います。その基準は自分で調整するものでもありませんが、
 やはり確実に存在していると思います。そして、人によって美しさの価値観は異なることも知っています。
 例えば、誰かが美しいと思う花を私が好きとは限らないように。

A.ええ、そうです。つまり、感性の種類が違うわけです。私たちは自分の波長とあったものに心地よさを感じ、
 心から美しいと思うのです。波長とはいわば、性質であって、モノやほかの生き物も各々の個性を持っています。
 内面的な美に気づくということは、その波長を感じること、そしてそれが持つ生命力であったり、
 個性であったりを美の対象として見出すことをさします。
 私たちはしばしば、表面的な美にとらわれすぎてしまうことがあります。
 それは、目に見える情報への依存性が高いからでしょう。
 ですが、様々な要因によって、感性が鋭敏になっていくほど、
 その表面的な美しさのみではなく、その物体が本来的に持つ内面的な美しさに
 惹かれるようになるのです。

Q.なるほど、内なる美とは、なんとなく理解できます。
 ですが、その内なる美というのも、所詮は表面的な美の上に成り立つもの
 ではないですか?
 例えば、もし、それが持つ本来的な生命力に美を見出せるとしたら、麗しく
 色彩豊かな花ではなく、ゴキブリや、はたまた害虫なんかも美の対象にとなるでしょう?
 生命力という点では、むしろそちらの方に軍配が上がるはずです。
 でも、そうはならないではないですか。その意味で、内面的な美とは、表面的な美の一部
 だと言えるのではないですか?

A.もちろん、それが持つ個性が見た目に影響を及ぼすこともあるのですから、その意味で
 完全に切り分けられるものとは言えません。一方で、内面的な美に気づくということは、
 たとえ盲目であっても可能です。
 ですから、表面的な美の上に成り立つというものではありません。
 あなたが、その花が根幹に持つ波長を感じることができた時、そしてその花の波長とあなたの
 波長が合わさったとき、あなたは、その花の個性や生命力に強く心打たれることでしょう。
 それはまるで、花と会話するような感覚で、あなたはその絶美を楽しむことができるようになります。
 それこそが、感性を養うことの真義です。
 そして、美に正解不正解があるわけでもありません。
 ですから、たとえあなたが虫嫌いであっても、昆虫をこよなく愛する者もいるのです。
 それは、波長が異なるだけです。
 
 この世界には本当に様々な波長のものが存在します。
 花と一概に言っても、その種類の数だけ多様な性質があります。
 波長を色で例えれば、この世界は本当に無数の色で彩られているのです。
『感性を養う。』ということは、それを見ることのできる目を持つということです。
 生命は長きにわたる進化により、たくさんの驚き、そして感動を得ることができました。
同様にして、内面を見る目を得る進化を、私たちは意思によって選べるのです。
目には見えない内面的なものを感じることを意識してみてください。
 必ず、あなたの人生に、良い影響をもたらすはずです。

息子とマスターとの対話6へつづく

 

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