もう10年以上前のことです。
私が海外にいたころ、あるお坊さんと出会いました。
とても素敵なお坊さんでした。
彼と一緒にセッションをする機会に恵まれました。とても興味深いセッションでした。(Q,は誘導者、A,はマスター)
Q,何が見えますか?
A,滝が見えます・・・。
白い着物を着た女性がいて、滝に打たれて修行をしています。
Q,女性の中に入って、感情を見てください。(すっと中にはいっていく・・・。)
『煩悩を無くすために、私は修行をしています・・。』
A,煩悩を無くす必要はないです。
なぜなら、煩悩(ぼんのう)こそ、生きている証だから・・・。
Q,いろいろな欲が、生きているということなのですか?
ならば、欲望のまま生きていいということですか?
他人のものを奪ったりしても?
A,人はまた、『煩悩』と同じだけ、『愛』も持っているのです。
そして、煩悩があってこそ、愛を表現することができるのです。
Q,どういうことですか?
A,例えば、私たちは『食欲』があります。お腹が空く体験があります。
目の前にパンが一つだけあります。私はおなかが空いている。
そして、目の前のあなたもお腹が空いています。
私は独り占めすることもできます。しかし、半分こすることもできます。
それでは、実質、完全な空腹を満たすことはできない・・・。
しかし、そこに思いやりを体験することができます。
例えば、『性欲』があります。
私たちは、愛し合い、抱き合う。
相手を喜ばせ、また、自分も喜ぶという体験ができます。
欲望があるから、愛も体験することができるのです。