ヒプノチャネリングのきっかけ1(点が線になっていく)

私がヒプノチャネリングをするようになるきっかけの一番初めは、2009年


フランス人生物学者であり、血液中に『ソマチッド』を発見し、がんの特効薬である『714X』の開発者である
ガストン・ネサーン氏
を訪問しにカナダに行ったことです。写真は、カナダにあるネサーン氏の研究室に向かうところ。地下室にはネサーン氏が開発した
ソマトスコープがあって、実際に参加者の血液のソマチッドを見せてくださいました。水色のTシャツ姿の子供は8歳当時の息子です。
今は、23歳の大学院生に成長しました。この時期にガストン・ネサーン氏に出会い、地下室でソマトスコープを見られたことは
息子にとって大きな衝撃だったのだと思います。後に息子は、モノづくりに興味をもち、エンジニアを志すようになりました。


2009年当時、私は8歳の息子とともに札幌で2人で暮らしていました。
そこで、『がん呪縛を解く』のご著者でジャーナリストである、稲田芳弘さんと出会います。出会いは、過去に稲田さんが私の故郷の徳島で
講演をされたときに、私の母が車で送迎をして、たまたま娘の私が札幌在住なので会ってみてといったことで実現しました。

初めて稲田さんのお宅に呼んでいただいたとき、ご自宅の横に手作りのドームがあって、そこには壁びっしりと書物があって、
あらゆる分野の情報に精通されておられるのがわかりました。
毎回伺うたびに、がんを患った方々が稲田さんにご相談に来られていました。
稲田さんは無償でドームを解放されて、情報提供をされていました。
穏やかで、男性でありながら、なぜか母性のような包み込むやさしさを私以外の人も感じていたと思います。

私は、それまで夢で未来を見る話を人にはあまり話しませんでしたが、稲田さんとは病気のことからスピリチュアルな
話、経験などすんなり話せました。そして、私の見た未来を証明してくださるように、背後の大量の書籍から
『この本にもこう書かれてあるよ。』と教えてくださいました。

私は札幌で鍼灸師として働いていましたが、ちょうど、人間関係の悩みや体調不良から退職したばかりでした。
家族の介護生活と仕事の問題で、心身共に疲れきった状態にありましたが、そういう状況を察してくださり、
『どうしていますか?』とお電話くださり、何度かドームにもお誘いくださいました。

その度に、がんの患者さんが来られていて、『稲田さんは弱っている人を、放っておけない人なんだな。』と思いました。
ご自分も決して体が楽ではないだろうに、弱い人にはとことん手を貸す。そんな人だと思いました。

そんな中、ガストン・ネサーン氏訪問のお話をいただきました。
最初、鍼灸師の私ががんの特効薬を知ってもどうすることもできないとお断りしましたが、
いろんなめぐりあわせから、8歳の息子とともに参加させていただくことになりました。

後になって思うと、その時の出会いはすべてが繋がっているとおもうのです。
日本全国から参加された方々は、わたしが普段出会うことのないような方々でした。

移動中に催眠療法やら、エドガーケイシー、ホメオパシー、代替療法、情報が盛りだくさんで
刺激的な旅となりました。
多分、子連れの鍼灸師の私がいちばん浮いていましたが・・・。

ガストン・ネサーン夫妻はそんな私たちにもとても親切で、
1週間の研修後に息子にまで修了書を作ってくださいました。

ヒプノチャネリングのきっかけ2(点が線になっていく)へ続く



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