ヒプノチャネリングのきっかけ4(潜在意識はつながっている)

ここまでのお話 はじめから

カナダからのフライトの中で初めて萩原先生から催眠療法を受けました。
飛行機が東京に到着して、ガストン・ネサーン氏訪問を終え、私たちはそれぞれが元居た場所に戻っていきました。

私は当時、札幌で暮らしていましたので、そこで飛行機を乗り継ぎ、自宅に戻りました。

札幌の自宅に戻って間もなく、母からの電話が鳴りました。
私にとっては、ついさっき、母との過去世を見て自分の中でいろいろな気づきを得てからの
はじめての母との対話でした。

『もしもし。』いつものように電話に出ると、母の第一声が『千晶、愛してる。』だったのです。
え?なになに?私はおどろいて聞き返しました。生まれてからずっと、母から愛してるなんて言われたことがないからです。
いったい何があったの?というより、私のほうが何なら大きな出来事あったのよ。
母との前世を見て、今世での関係性を理解したところなんだから・・・。
なのに、いきなり、母のほうが変化しているではないですか?

『車で土手を走っていたら、何が何だかわからないけど、感情が出てきて。
すぐに伝えなきゃって思ったのよ。』と母が言いました。

それで私は、飛行機の中で見た私たちの過去世のセッションの話を母にしました。
それで、『よくはわからないけど、私がセッションで見て深い理解をしたことで、
お母さんの気持ちがかわったのかしら・・・。』とういう結論に至りました。

そもそも、私の母は私が生まれて間もないころ、泣いてばかりの私を床にたたきつけたい衝動に
かられたのです。そこから子供をかわいいとは思えなかったのです。
私も息子がいますが、もし自分が子供をかわいいと思えなかったとしたら、それはそれでどちらも不幸です。

そんな母から『愛してる。』なんて言葉が聞けるなんて思いもよらないことでした。
私はこの現象があまりに不思議で、萩原先生にお電話しました。
それでとっさに、『萩原先生、私に催眠療法を勉強させてください。』と言っていました。
萩原先生は『いいですよ。』と一言。

そこから、2か月もたたないうちに、私たちは横浜のイーハトーヴクリニック近くに転居することになりました。
後日談ですが、萩原先生は、私が『催眠療法を勉強したい。』といっても、転居までしてくるとは考えていなかったようです。

こういうところは実に私らしいのです。

2003年にはまだ3歳の息子を連れて、『色彩治療』を勉強したくて、愛媛に転居しました。
その時も息子と二人。
色彩治療の開発者である、加島春樹先生の治療院で助手として働きながら、色彩治療を学びました。
色の周波数を使って治療しますが、『パワーテスト』という指の筋力テストで色の波長と生体の波長を診ます。
このパワーテストをマスターするのにとても苦労したのを覚えています。

自分でもどうしてこんなに行動的なんだろうと不思議に思うことがあったのですが、
今になってみれば、過去世で自由を抑圧されてきた経験が、今世ではやりたいことを
すべてやるんだという行動に掻き立てているのだとわかりました。
いままでよくこんな無謀な私を受け入れてくださったなと、感謝しかないのです。
息子にとっても大変な母親だったはずです。
よくグレることもなく育ってくれたなと感心しています。
ヒプノチャネリングは息子にとっても人生の導きとなってくれます。
いつか、息子にとってのヒプノチャネリングもお話できたらとおもいます。

ここで、わかったことは、相手への深い理解が、相手の態度、感情をも変化させるということです。
初めて受けた、催眠療法があまりにも衝撃的だったので、私たちの人生の方向は完全に変化していくことになりました。

ヒプノチャネリングのきっかけ5(催眠で未来を視る!)へ続く



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