ヒプノチャネリングのきっかけ7(クリニックでのセッション)

ここまでのお話 はじめから

そうして、私と息子は2人で札幌から横浜に越してきました。
息子が9歳になる年でした。

当初、私は萩原先生のクリニックで鍼灸師として色彩治療をやらせていただきながら、
催眠療法を学ぶつもりでいました。
ですが、ひょんなことから私のセッションの最中に、萩原先生のマスターが語りかけてきたのです。

それだけではなく偶然が重なって、実際のがんのクライアントさんにヒプノチャネリングを行うようになりました。
思い返せば、この偶然が重なって、あっという間に3人でのセッションがはじまったのです。

何度も言いますが、この偶然がなければ、今こうしてヒプノチャネリングをしていなかったと思います。
人生にはあらゆる偶然が点として存在しています。
出会いや出来事が、のちに線になっていくのです。

はじめて、私が萩原先生の元でクライアントさんにセッションをした日を、
今でも鮮明に覚えています。
その日は、私が萩原先生のマスターと会話できることがわかって、
何度か研究的にセッションをやってみようとしていた時でした。
当時、面白いことに、私が催眠から覚めた瞬間に萩原先生の電話が鳴ったり、
この日も、私が催眠から覚めた瞬間に、ピンポーンと次のクライアントさんがいらっしゃいました。
そこで、クライアントさんにお聞きして、試してみようということになりました。

がんを患った男性でした。
ここでは、実際のセッションの内容は控えますが、初めて3人でおこなったヒプノチャネリングは
衝撃的でした。
それは、彼が言葉にしている内容と、潜在意識がまるっきり逆だったからです。
私がセッションで見聞きした内容をありのままお伝えすると、『その通りです。』と
仰いました。そして彼が幼いころに飼っていた犬も登場して、
それはそれはとても衝撃的なものでした。

潜在意識下では私は、『わたし』ではなくなり、全体になります。
そうなると、そこで見聞きすることを、ほとんどジャッジすることがないです。
『ただ、ある。』という認識で私はそれを言葉にします。
深くなれば深くなるほど、その性質が強く表れて、浅いところになれば、『わたし』
が再び登場してきます。
なるべく『わたし』のフィルターを通したくはないので、『ただ、ある。』認識の
ままでメッセージをお伝えしたいのですが、その日の体調や心の状態に大きく左右されます。
そしてもう一つ、誘導者の意識も大いに影響してくるのです。

一番いい状態は、誘導者、『わたし』ができるだけ平穏でいるときにセッションができることです。

この日を境に、私は、『わたし』と『私以外の何か』のあいだで、行ったり来たりしながら、
葛藤することが多くなっていきました。

ヒプノチャネリングのきっかけ8(魅せられた魂のかがやき)へつづく
























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